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進撃の巨人 第22巻 考察と感想②

 進撃の巨人が評価される理由の一つに「独特のユーモアセンス」が挙げられる。

 何をユーモアと感じられるかは人それぞれであるため、作者の意図するところではないのかもしれないが、私の感覚として発見した、諫山先生のユーモア表現の癖のようなものをお伝えしたい。

 

 まず第22巻のユーモアポイントだが、第87話「境界線」の中盤過ぎ(進撃はノンブルが無いのでページ数が把握しづらい)の治安当局グロス曹長の語りを例に取る。

 

 (楽園を送りになったグリシャの同胞を小型の巨人にさせ、彼と戦わせることを伝えられたグリシャが、グロス曹長に「なぜそんなことをするのか?」と問うた答え)

 

「何で?何でって…そりゃ面白い…からだろ?人が化物に食われるのが面白いんだよ。そりゃあそんなもん見たくねぇ奴もいるだろうが、人は残酷なのが見たいんだよ。ほら?エルディアの支配から開放されて何十年も平和だろ?大変結構なことだがそれはそれで何か物足りんのだろうな。生の実感ってやつか?それがどうも希薄になってしまったようだ。自分が死ぬのは今日かもしれんと日々感じて生きている人がどれだけいるか知らんが、本来はそれが生き物の正常な思考なのだよ。平和な社会が当たり前にあると思っている連中のほうが異常なのさ。俺は違うがな。人は皆いつか死ぬが俺はその日が来てもその現実を受け入れる心構えがある。なぜならこうやって残酷な世界の真実と向き合い、理解を深めているからだ。当然楽しみながら学ぶことも大事になる。あぁ、お前の妹を息子たちの犬に食わせたのも教育だ。おかげで息子たちは立派に育ったよ」

 

 このセリフは1ページ半で7コマかけて展開される。

 これはグロス曹長の異常性だけを表しているのでは決してなく、作者の価値観とユーモアが表出しているシーンと言えるだろう。

 まず、諫山ユーモアの特徴は時間の掛け方にある。

 通常ギャグシーンであれば一コマ二コマで済むのだが(実際擬音を使ったギャグなどは一コマで終わる)、進撃の巨人でユーモアを感じる箇所はねちっこくコマとページを掛け、時には主となるストーリーに乗せながら展開される。

 グロス曹長の語りが面白いのは、根底に「浅はかな人生論」が批評されている点にある。この人生論とは、ひょっとすると今作『進撃の巨人』に対しての読者の批評の一部のメタファーでもあるかもしれないが。

 とにもかくにも、一見すると全うにも思える語りが、『当然楽しみながら学ぶことも大事になる』という前段からの論理の飛躍でユーモアと化しているのだ。

 

 89話の最初の2ページのエレンが「中二病」として扱われるシーンも、本当にしつこくセリフとコマを重ねているので是非確認してもらいたい。